説明
: 関善定家近則は幕末後期に水戸で活躍した直胤門。文化十二年(1815)生まれの菊池豊三郎近知。関善定派鍛冶の坂東太郎卜伝五代目を称した川村勘三郎の養子となり勘三郎の刀業を継ぎ善定近則を名乗る。天保十二年(1841)、日立助川海防城を訪れた大慶直胤に入門、さらに天保十四年から1年間、藩の郡方(こおりがた)の指示で江戸に出て再び直胤に師事。その後は水戸藩工として白旗山武器製作所で鍛刀に従事した。本作は明治二年(1869)、水戸藩士であろう江幡家主からの注文打で近則54歳円熟期の傑作。本作のために誂えられた上等な青貝微塵塗鞘打刀拵が付されている。「銕の意匠-水戸刀と刀装具の名品」・「茨城郷土の名刀展図録」・「百剣百話」・「わが郷土刀」所載。2012年特別保存刀剣審査合格。