説明
: 弘元は奥州二本松の鉄砲鍛冶古山久四郎の次男として生まれ、のち江戸に出て水心子正秀に学び、二本松藩の御用を勤める。初銘「国秀」、享和三年(1803)に「宗次」、文化六年(1809)に「弘元」と改め、文政四年(1821)陸奥介を受領し、藩主より鍛冶長者の称号を得た当時東北屈指の良工。天保十四年(1843)67歳没。正秀の復古討論に共鳴し、その実践に努めたことで有名なひとり。本作は、永野以亟なる御仁の注文による細身の片切刃造り脇指。片切刃造りは熱処理が難しく、裏と表の収縮率が異なるので刃切れを起こしやすい。片切刃造りを手掛けた刀工は総じて技量が高い。本作は鍛え精美な柾流れで刃文は中直刃に小足入りほつれ、食違い、うちのけをみる。古山弘元58歳、円熟した実力が遺憾なく発揮された片切刃造り脇指。