説明
: 本作は、水戸徳川家九代藩主斉昭(なりあき・1800-1860)公(諡号:烈公)御作。斉昭公と親交のあった上野国安中藩主七代板倉勝明公(1809-1857)佩刀(特別保存刀剣)。金梨子地青貝散杢目文鞘脇指拵(特別保存刀装)付。徳川斉昭(烈公)は寛政十二年(1800)水戸七代藩主治紀(はるとし)の第三子として生まれる。文政十二年(1829)長兄の八代藩主斉脩(なりのぶ)が身罷られ九代藩主となる。文武の道に励み、弘道館の設立、反射炉の建設、白旗山武器製作所等を成す。烈公は諡(おくりな・貴人の死後奉られた名)。天保五年(1824)頃より刀剣の鍛錬に志し、初め市毛徳鄰、直江助政がその相手を務めたが、両工が相次いで死去したため、直江助共、勝村徳勝が後を受けた。烈公の作刀は、目釘孔の上、中央に時計の略図のような時計紋と俗称されている十八葉の変り菊花紋を毛彫りにした、水戸では古来「葵崩し」と称されている紋様のみが刻される。