説明
: 水心子正秀(初代)は、寛延三年(1750)出羽国出身。師匠は初め下原鍛冶吉英といわれ初期銘は英国。安永三年(1774)山形藩主秋元家に抱えられて藩工となり川部儀八郎と名を改め水心子と号す。ほどなくして江戸に出て鎌倉の綱廣に相州伝を学ぶ。また独自に鍛法のさまざまな実験や考証を繰返して復古刀論を唱え「刀剣武用論」や「刀剣弁擬」など多数著した。そして大慶直胤や細川正義に代表される優れた門人を数多く育てた。文政元年(1825)76歳没。正秀は江戸に出てからも安永八年(1779)と天明二年(1782)の二度山形に帰っているが、本作は天明二年の山形千歳山(ちとせやま)辺での駐槌、井上真改を意識した作であろう。水心子正秀32歳、初期傑作。「水心子正秀とその一門(黒江二郎著)」「日本刀随感 新刀編(片岡銀作著)」所載刀。2025年特別保存刀剣審査合格。なお白鞘は入子鞘で作られており貴重。